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【PICC会員企業紹介 大久保会長との経営談義】(『王道経営』創刊号より)
「ブランド」といえば、ルイ・ヴィトンやカルティエなどの高級ブランド品が思い浮かぶ人が多いでしょう。
しかし、ブランドという言葉には、もっと幅広く、かつ深い意味が含まれています。
今回、話を伺った、ブランディングテクノロジー株式会社の木村祐紀代表取締役社長は、「中小企業こそブランドを重視しなければならない」と説きます。果たして、その真意は何なのでしょうか。じっくり話を伺いました。
ブランディングテクノロジー株式会社(旧 株式会社フリーセル)
代表取締役社長 木村裕紀(きむら・ゆうき)
21歳のときにIT系ベンチャー企業の株式会社アイフラッグへ入社。
新規事業部にて株式会社フリーセルの創業者、武吉氏と出会う。
その後、個人事業主を経て2005年に株式会社フリーセルへ経営陣として参画。
3年で当時3億の売上を7倍の21億に成長させる。2009年4月、代表取締役に就任。
2012年3月期売上が30億を超えて「中小企業向けWebコンサルNo,1企業」を達成。
1977年、神奈川県生まれ。國學院大學中退。
https://www.branding-t.co.jp/
――木村さんのキャリアを教えてください。
木村 大学には入ったものの、卒業せずに中退し、21歳のときにOA機器の販売・リースを事業にしているベンチャー企業に入社して、営業を担当しました。
その会社でインターネット事業部を立ち上げたのですが、そこで同期だったのが、後にフリーセルを創業した武吉広大でした。彼とは営業成績を競い合い、良い意味で切磋琢磨した結果、事業部はどんどん大きくなりました。武吉は1年半で会社を辞め、有限会社フリーセルを立ち上げましたが、私はそのまま会社に残り、3年目の23歳のときには、部下50人の部長職で、年商10億円の事業を率いていました。
とにかく若いころはおカネを稼ぎたくて、その過程で自分の力がどれほどのものなのかを知りたくて、がむしゃらに働きました。集中して働いた結果、自分のなかで何かひとつ達成した感があったので、会社に辞表を提出しました。
その後、少しのあいだ、個人事業主として働いていたのですが、武吉が立ち上げた株式会社フリーセルが創業期から成長期に入る5期目に同社に出資し、経営陣に加わりました。
――会社員としても順調な歩みだったのに、独立しようと思ったのはなぜですか。
木村 当時は、自分に実力を付けたいという一心でした。最初に入った会社では、とにかくがむしゃらに頑張ったので、相応のポジションや報酬を得ていましたが、すでに存在している組織における話ですから、自分の本当の実力がどれほどのものかを純粋に知ることはできませんでした。
一方、独立して一から会社を大きくできれば、それは真に自分の実力によるものです。成否は自分の実力いかんにかかってきます。ですから、独立したことは自己表現の一環だったのかもしれません。
――ブランディングテクノロジー株式会社は、どのような事業を行なっているのですか。
木村 中小・ベンチャー企業を対象にしたウェブコンサルタント事業を展開しています。
具体的には採用活動支援、社員教育支援、営業活動支援といったビジネスサポートに加え、会社のイメージ転換を図るための戦略立案、長期的なパートナー関係を構築するためのサポート、さらには企業イメージを伝えやすくするための戦略立案などが主だったところです。
これらを通じて、「中小企業のブランドイメージを高めていく」ためのサポートをするのが、私たちのメインの仕事になります。おかげさまで、年商46億円まで成長できました。
――企業理念として「共存共栄の精神で世の中に新たな価値と笑顔を創出します」ということを掲げられていますが、その理由は何だったのですか。
木村 最初はひたすら自社の事業の拡大に専念しました。とにかく営業をかけて、売上を伸ばしていくという、ベンチャー企業にありがちな成長ストーリーです。
しかし、売上が10億円を超えたあたりから、壁のようなものにぶつかりました。このままでは、前職の会社でやっていたことと同じになってしまうと思ったのです。前職の会社では自分も含めて、とにかく利益重視でひたすら攻めの営業を行なっていました。それでも上場までこぎつけましたが、自分の眼からみると、かなり〝粗削り〞の会社だなぁと思うところがありました。
利益を伸ばすことはもちろん大事ですが、それがお客様や取引先と共存共栄できていないようでは、何にもなりません。そのような状態を続けていたら、いずれどこかの段階で必ず業績は頭打ちになると考えられます。
そうではなく、永続的に会社を成長させていくにはどうすれば良いのかを考えているなかで、「共存共栄の精神で世の中に新たな価値と笑顔を創出します」という経営理念を思いついたのです。この経営理念には、お客様も、社員も、経営陣も、長く継続して価値を得るとともに、笑顔になれるようなものを創造していきたいという願いが込められています。
この経営理念を考えたのが2007年のことで、そのときからブランディングテクノロジー株式会社はきちんと社会に根を下ろすことができたのだと思っています。
――経営理念は、それがいくら素晴らしいものであっても、社内に浸透させるのが大変だと思います。経営理念を制定した当初、それに対する社員の反応、理想と現実のギャップのようなものはありましたか。
木村 そうですね。私自身、経営者といいつつも、年齢的にはまだ20代で他の社員との年齢も近かったため、仲間意識が強く、みんなで理想に向けて突っ走ることができてきたわけですが、それでも当初は経営理念に掲げた理想と現実のギャップはありました。
経営理念を考えた翌年の2008年はリーマンショックが起こり、当然のことながら売上が落ち込み、理想よりも目先のことを何とかしなければという気持ちになったのも事実です。
そこを何とか乗り切った後、2011年、2012年くらいからは、会社の規模も大きくなってきて、現実問題としてビジネスモデルを変えていかなければならないという状況がありました。
具体的にいうと、ストック型のビジネスモデルに切り替えて、たとえば保守でフィーを頂戴するようなビジネスを中心にしていったのです。
当然、会社の収益構造が変わりましたから、それに伴ってさまざまな変革をどう進めていくかを考えなければならないタイミングだったのですが、そのころにちょうど当時の共同経営者と別れることになり、会社の組織が少し不安定になってしまったのです。
そのころでしたよね。大久保会長と出会ったのが。そして、会長が主催する大久保秀夫塾で学ばせてもらったことが、会社や経営者としての在り方、自分にとっての100年ビジョンは何なのかを考えるきっかけになりました。
――そうでしたね。
木村 その結果、「想いに応える、ソリューション」というブランドメッセージに落とし込むことができました。それは「日本の99・7%を占める中小企業経営者の想いに応えて、未来に向けた解決策となるソリューションを一緒になって考えていく」というものですが、これで自社の在り方が明確になったので、これから先も自信を持って事業を続けていくことができると思っています。
こういう私の想いが会社組織全体に完全に浸透したかといわれると、まだ少し至っていないところもありますが、外部環境の荒波に揺らされたなかで生まれた「在り方」「メッセージ」ですから、社員のよりどころとして共感してくれていると信じたいですね。
――共同経営者が辞め、組織が動揺したときに、どうしようと思いましたか。
木村 一般論として、とるべき選択肢は2つあると思うのです。
ひとつは辞めさせたくないがために、相手に迎合して何とかやり過ごすこと。もうひとつは、綺麗さっぱり違う道を歩むことです。
いろいろありましたが、私は後者を選びました。お互いの判断を大切にし、それを貫いていく。たしかに、一時的とはいえ組織に動揺が走ったのは事実ですが、一方で、それによって一段と大人の組織に変わるチャンスかもしれないと思ったのです。
辞める人は、今の組織に対して何がしかマイナスの感情があるからこそ辞めていくわけですが、その人たちのマイナスエネルギーも取り込んで自分たちの力に変え、会社の礎を強固なものにし、未来をつくっていこうと思いました。
これは日本人の特性なのかもしれませんが、状況が良いとき、悪いときの両方向において、感情が大きくブレる傾向が見られます。良いときには、自分が見えなくなるくらいに浮足立つ反面、状況が悪化すると、どこまでも沈んでいくというような感じですね。
実際、共同経営者が辞めたときも、「一体、この会社はこれからどうなってしまうんだ」という動揺が広まり、会社のムードは最悪なほどに暗くなりました。辞めた共同経営者と行動をともにする社員もいて、組織からどんどん人が抜けていくのです。それを止血するのに時間がかかり、1年くらいは新たな一歩が踏み出せないという状況が続きました。正直なところを申し上げますと、かなり追い込まれた気持ちは抱いていました。
――それでも経営者の信念として、共同経営者が辞めるのを止めなかったわけですね。その判断に迷いはありませんでしたか。
木村 迷いがあったかどうかというよりも前に、自分で退路を断ってしまったので、前に進むしかありませんでした。
それと、弊社は17期連続の増収なんですが、ということは、そのように非常に苦しいなかでも成長し続けてきたわけです。それを支えてくれたのは、ひとえにお客様であり、そのお客様一人ひとりを大事にしてフォローしてくれた社員の活躍です。そういう人たちへの恩を返していかなければなりませんから、決断を下すのは非常に苦しかったけれども、迷いはありませんでした。
――一度は組織が動揺し、辞めた人も出たわけですが、その後、会社はどのように変わりましたか。
木村 2018年から執行役員が新たに3名加わりました。3名とも2011年4月入社組で、現在30代になったばかりです。
2011年4月ということは、ちょうどリーマンショックの後ということもあり、会社としては厳しい状況にありました。会社の将来に明るさを見いだせなくなった社員のなかには、退職する人もかなりいて、会社としては人材不足に陥っていました。
そうしたなかで新卒を採用しないとダメだということになり、私自身が会社説明会や面接にかかわって、将来のビジョンなどを語り、それに共感してくれた社員たちなのです。
そういう社員たちが今、役員になってきたわけですから、私にとっては右腕、左腕のようなものです。そこは組織的にも、非常に大きな変化だと思います。
そして、たとえば2018年に新卒で入ってきた社員たちからすれば、7歳くらい年上の先輩が執行役員になっていることになりますが、会社の理念、ブランドを丸ごと身につけた人間が上にいることで、会社全体が活性化してくるという効果を期待しています。
――人を採用し、育てていくというのは本当に大変だけれど、大切でやりがいのあることですよね。
木村 さきほどお話した、2011年4月に新卒で入社してきた社員の一人を、2018年から人事担当の執行役員にして、今後の採用については彼に任せることにしました。
彼が入社してきた時期は会社が大きく変わっていき、外部環境、内部環境の変化が大きな時期でしたが、そのなかでいろいろな浮き沈みを経験しながら、それでも何とか荒波を乗り越えて、100年ビジョンを策定していく過程を見ていますから、今彼はそれを入社希望者にきちんと説明しています。
企業にとって大事なのは、どれだけいろいろな思想、哲学、主義の人たちが集まっている組織であったとしても、根っ子にある企業カルチャー、価値観のようなものを、社員全員が共有していることだと思います。
今のブランディングテクノロジーは、第三次から次の新たなステージに移行しつつある時期だと私は考えていますが、いつ、どの時代においても、根っ子の企業カルチャー、価値観を大事にする社員が育ち、各世代におけるリーダーになってくれれば、会社組織は十分に機能すると思います。
――なるほど。ブランディングテクノロジー株式会社はあくまでも人が主役の会社組織だと思いますが、その業容についてもう少し教えてください。
木村 今の社員数はグループ全体で270名です。東京本社のほか、大阪、名古屋、広島、福岡に営業所を持っています。
またグループ会社として、沖縄に株式会社アザナ、ベトナムのホーチミン市に、フリーセルベトナムを設立しています。アザナが30名、フリーセルベトナムには41名の社員がおり、ブランディングテクノロジーグループ全体で270名という体制になっています。
業績は先ほども申し上げたとおりで、弊社は2018年3月に17期を迎えたのですが、おかげさまで17期連続で増収です。設立した当初、第1期決算の売上は1300万円でしたが、第17期決算では46億6700万円になりました。
――沖縄とベトナムでは、どのようなビジネスを展開しているのですか。
木村 沖縄を拠点にしている株式会社アザナは、マーケティング事業部、クリエイティブ事業部、地域振興事業部が3本柱です。社名の「アザナ」というのは、首里城の東西にある「物見台」の名前に由来しています。沖縄は地理的にいうと、アジアの中心部にあるので、日本とアジアを展望し、日本とアジアを元気にしていくという想いを込めました。ちなみに地域
振興事業部は、沖縄をICTビジネスの中心地にするべくつくられた部署です。
アザナは9割のメンバーが、未経験者からの採用です。経験者という狭い枠のなかで採用するのではなく、未経験の人たちを採用し、しっかりと社内教育を行ない、沖縄の人材力向上を目指しています。会社の設立は2013年4月です。
ベトナムのフリーセルベトナムは、ベトナム市場に参入した日本企業向けにウェブサイトの構築を行なったり、日本国内からのHTMLコーディングといったオフショア開発・受託を手がけたりしています。設立は2012年3月で、2018年5月現在で41名の社員が働いています。
世界の成長センターは、これからもしばらくアジアが中心になるでしょう。かつて日本企業の多くは中国に製造拠点などを設けていましたが、今後は中国以外の周辺アジア諸国にも進出していくものと思っています。それも大手企業だけでなく、中小企業の進出も増えていくでしょう。
だとすれば、日本とアジアを見据えてビジネス展開できる沖縄にある株式会社アザナと、日本企業の進出先として注目されるベトナムでビジネスを展開しているフリーセルベトナムは、未来に向けて、私たちブランディングテクノロジーグループがもう一段の成長をしていくための大きな力になると考えています。
―― ブランディングテクノロジーは「ブランド」を事業の中核に据えています。ブランドにはいろいろな意味があると思いますが、木村さんが考えるブランドとは何ですか。
木村 ブランドというと、高級腕時計、高級外車、高級ファッションといったイメージがありますが、それはブランドの一側面だと考えています。
では、ブランドは何かということを突き詰めて考えていくと、それは「らしさ」ではないかと思うのです。「〇〇するなんて□□さんらしい」とか、「あのスーツは△△さんらしいね」という「らしさ」です。この「らしさ」は、人だけでなく企業や組織にも当てはまり、企業として、「当社はこのような会社です」と発信できるのは、会社としてのブランドがあるからだと思うのです。
企業ブランドというと、多くの人は大企業のそれをまずはイメージすると思いますが、そういう意味からすれば、実は「らしさ」がわかりにくい中小企業にこそブランドは必要なのではないかというのが、私自身の考え方です。
そうであるにもかかわらず、中小企業経営者でブランドについて意識している方は、残念ながらほとんどいらっしゃいません。
しかし、これだけインターネットが日常生活に定着すると、企業規模の大小にかかわらず、ブランドイメージの構築が重要な意味を持つようになります。自社のホームページに経営理念やビジョンなどの「らしさ」を打ち出すことによって、それを見た人々のイメージが大きく変わるからです。
――なるほど。では、具体的にどうしたらブランドを確立できるのでしょうか。
木村 ブランドについて考えるとき、私は常にボーリングのセンターピンをイメージしています。ストライクをとるためには、センターピンを上手に倒して、その勢いが2列目のピン、3列目のピンというように波及して倒れることを狙います。
ブランドにおけるセンターピンは、「コーポレート・アイデンティティー」です。ここに、企業理念やビジョンなどがあてはまります。要するに、企業の「らしさ」を示すものです。ここをきっちり押さえることによって、アウターブランディングとインナーブランディングという2列目のピンに効果が波及していきます。
アウターブランディングとは、それを外に発信していく活動を通じて、自社の考え方に共感してくださる良いお客様と出会う営業活動と採用活動があります。営業活動は広告、広報、マーケティング活動があり、自社のオウンドメディアを用いて広めていきます。
一方、インナーブランディングは、経営理念やビジョンを社内に浸透させて、社内の組織をつくったり、採用力を構築したりするもので、その先には人事制度や社内教育制度の充実があります。
このように、まずはセンターピンであるコーポレート・アイデンティティーをきちんと押さえることによって、その先に波及させていく、あるいは市場に啓発していくというのが、私たちのブランディングの基本的な考え方です。
これを私たちは「ブランドファースト経営」と言っているのですが、これを実践することで、まずは自社が一部上場企業になれる姿を証明すれば、中小企業のブランドに対する意識も変わっていくのではないかと考えていますし、それを変えていくのが、私たちの使命でもあります。
――それを提唱する以上、御社もブランドファースト経営を実践していると思いますが、社内的には何か変化がありましたか。
木村 やはりブランドを大事にして行動する社員が増えましたし、直接的な影響かどうかはともかく、全体的に残業が減り、ワークライフバランスが整いました。
数字にもそれが表れていて、平均勤続年数が3年だったものが4年6カ月に、平均年収も30万円くらい上がっています。残業や休日出勤もなくなっているので、全体的に仕事の生産性が上がりました。モチベーションも高まっています。
――これからの会社の在り方として、何を重視していきますか。
木村 引き続き採用には力を入れて、ブランド、経営理念、ビジョンを大事にして、共感してくれる社員を育てていきたいですね。
経営面でも、定期的に経営幹部を集めて、「本音会議」というものを開いています。文字どおり、経営幹部が本音丸出しで議論する場で、事業課題や現場の課題などを仕分けし、それらをいつまでに解決するか、期日を決めたうえで、実行させていきます。私はあくまでもオブザーバーの立場なので、とくに口を差しはさむこともしません。幹部一人ひとりが、自分が担当している部署について権限と責任を持ち、各人の判断で動かしていく、いうなれば連邦経営のようなスタイルです。
そうすることで、組織のフラット化が進みます。今後は、社員一人ひとりの力を底上げして、さらにブランドファースト経営を進めていければと考えています。
――ありがとうございました。
2001年 8月 歯科医院のインターネット関連の企画営業業務を目的として、東京都世田谷区に有限会社フリーセル設立。歯科医院専門ポータルサイト「歯科タウン」開設、販売開始
2002年 1月 有限会社から株式会社フリーセルに組織変更
2003年 10月 「 歯科タウン」掲載可能地域を全国へ拡大
2004年 11月 福岡営業所開設。事業拡大に伴い本社所在地を渋谷区南平台町へ移転
2006年 9月 大阪営業所開設
2006年 10月 グーグルアドワーズ代理店に認定される
2007年 12月 オーバーチュアオンライン代理店に認定される
2008年 3月 名古屋営業所開設
2009年 7月 資本金を9,950万円に増資
2010年 4月 ネット広告の運用強化を目的として沖縄マーケティングセンター開設
2011年 6月 「 歯科タウン」登録医院数が1,500件突破
2011年 12月 Webサイト制作実績数が7,000件を突破
2012年 3月 Webサイトの制作・保守・ソフトウェア開発の海外生産拠点として、ベトナムに現地法人FREESALE VIETNAM CO.,LTD.を設立
2012年 8月 Googleより「Google アナリティクス認定パートナー」の認定を受ける
2013年 3月 グローバル戦略、ASEAN地域の活動拠点として、シンガポールにFREESALE ASIA PTE.LTD.を設立
2013年 4月 インターネット広告運用事業、サイト構築・運用事業、人材育成事業の推進を目的として、沖縄マーケティングセンターを株式会社アザナとして分社化
2016年 3月 広島営業所開設
2018年 11月 「ブランディングテクノロジー株式会社」へ社名変更
2019年 6月 東京証券取引所マザーズ市場に株式を上場
2020年 9月 株式会社スカラと行政・自治体のDX推進を目的とした合弁会社「株式会社ソーシャルスタジオ」を設立
2020年 10月 コンテンツプロデュースカンパニーとして制作部門をグループ化、「株式会社ファングリー」を設立
ブランド事業: 独自のフレームワークを軸に、中小企業が抱える収益拡大課題(アウターブランディング)、人事育成課題(インナーブランディング)を統合的に解決する。
デジタルマーケティング事業: 累計450社を超える運用実績から培った集客・コンサルティングノウハウと人財力を武器に、デジタルマーケティング領域の課題を総合的に解決する。
オフショア関連事業: 沖縄、ベトナム、シンガポールに拠点を設け、国内と同等のサービスを提供。アジアに事業所を持つ日系企業や現地企業との取引を拡大している。
※ 本記事は、2018年10月に株式会社フォーバルから刊行された『王道経営』創刊号に掲載されたものであり、掲載当時の情報となります。2018年11月の社名変更にあわせ、会社名の表記を「株式会社フリーセル」から「ブランディングテクノロジー株式会社」に修正しております。