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2019年1月22日(火)
“食卓のお供” 味付海苔の元祖!
嘉永2年 1849年…創業170年 「株式会社山本海苔店 山本副社長」にインタビューさせていただきました。
【参加者(順不同・敬称略)6名】
河合・山口・國武・小林・加藤・當間
■100年企業を目指す後進に一言…
「伝統は日々の革新!」
「不易流行(※)」の精神を持って邁進していただきたい。
■■■ 山本海苔店と海苔の歴史
海苔は紀元前700年頃から紫菜として食べられていたが、現在のように“シート状”ではなかった。
1849年 嘉永2年 神奈川県綱島周辺から魚河岸で修業をしていた山本徳治郎氏が海苔専門店を創業。創業当時は、浅草寺近くの隅田川流域で自然の海苔が取れた為、浅草で海苔漉き(すき)が盛んに行われていた。その後、大田区大森沖で採れるようになり、加工も出来るようになったので大森が主力産地に、山本海苔店の作業所もあった(現在は有明海が主採場)。
1869年 明治2年 二代目 山本德治郎が千葉周作の道場で山岡鉄舟と出会い、明治天皇へ海苔に江戸の醤油で味をつけて献上したのが味付け海苔のルーツ。
■■■ 海苔の歴史1300年の進化
海苔業界の発展には、以下の3大発見・発明・技術が大きく寄与している。
■漉く技術
海苔を食べるようになった当初は、干して汁に入れる、ごはんに掛ける…等の食べ方であったが、海苔を漉く技術が確立され、現在のような「シート状」に加工する事が可能になり、消費の形が大きく変わった。日本人の知恵!
■味付海苔の登場
海苔の消費量約70億枚の内、約半分が味付海苔。そのルーツが山本海苔であることが誇り。
■養殖技術
1953年 イギリスの女流海藻学者 ドリューにより海苔の生態が明らかになり、この発見によって養殖が可能になった。
■■■海苔って凄い!
鉄分・ベータカロチン・葉酸・グルタミサン・イノシンサン等、栄養価満載!
しかも、「こんぶ・カツオ・しいたけ」に含まれる旨味成分が全て入っているのは海苔だけ。
まさに「天然の味の素」
■■■山本海苔って凄い!
■日本初のドライブスルーは「海苔!」
日本でドライブスルーを始めたのは?実は山本海苔店!
海苔は元々百貨店で買うものだったが、だんだんと消費者に直接売る方向に変わってきた。
その中でのトライアルとして挑戦したが、それほど売れたわけではない。
■「山本陽子」をイメージキャラクターに50年!
一人のキャラクターと50年契約継続しているのはギネス記録(認定済)。
■■■企業理念
「お客様に喜んでいただく」こころ 「働いている人を大切にする」こころ
■■■一番大切にしている事
時代に合った商品・ニーズに合った商品を作って行かないと飽きられてしまうが…「良品廉価」は徹底死守。そして「三方良し」売り手も良くなければいけない。
■■■社員に求める資質
大量生産時代は指示されたことを処理してくれればよかったが、今は時代に対する感度が高い人財が求められる。時代は変わっていく。趣向も変わる。考える力が必要となる。
■■■最大のピンチは?
最大のピンチは関東大震災と第二次大戦。
両方で社屋を消失してしまう。その時に親戚一同集まり、「山本海苔店」と命名する事で海苔専業として再建を決意。ここで社名に「海苔店」と入れた事で方向性が決定された。
■■■まとめ
味付海苔の元祖であると共に、「ドライブスルー(国内)」の元祖でもある…という、革新的な事を行って来た一方で、海苔の老舗として「良品廉価」「不易流行」を徹底して守る。まさに「時代に合わせて、変えて行くべきコトは変化させ、守るべきコトは徹底して守る」を実践されている。
山本海苔店さんは“海苔の製造業”、しかし併設された店舗では、店員さんの接客も大変素晴らしく企業理念である「お客様に喜んでいただく」こころ 「働いている人を大切にする」こころ…が浸透されている事を実感した。
http://www.yamamoto-noriten.co.jp/
■「不易流行」とは?
松尾芭蕉が説き始めた俳諧の理念。一般には句の姿の問題として解され,趣向,表現に新奇な点がなく新古を超越した落ち着きのあるものが不易,そのときどきの風尚に従って斬新さを発揮したものが流行と説かれる。しかしまた,俳諧は新しみをもって生命とするから,常にその新しみを求めて変化を重ねていく流行性こそ俳諧の不易の本質であり,不易は俳諧の実現すべき価値の永遠性,流行はその実践における不断の変貌を意味するとも説かれる(出典:コトバンク)