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PICC東京支部・100年企業研究委員会では、2016年6月28~29の日程で栃木県の企業を訪問するツアーを行いました。目的は「100 年企業に学び、自らも 100 年続く経営を実践するために、栃木で学びつつ交流を深める」です。
今回、訪問させていただいた企業
アップライジング栃木店
有限会社高徳花火工場
日光金谷ホテル
このうち、創業明治29年の100年企業、高徳花火工場四代目・飯田社長にお話をうかがった模様について紹介させていただきます。
◆ 訪問企業の概要 http://www.taka-toku.co.jp/
高徳幾之助、煙火の製造販売届け出書を真岡警察署長に受理される 昭和 35 年 1月 |
飯田社長インタビュー
四代目・飯田国夫 社長にインタビュー応じていただきました。
飯田社長は、PICC 栃木・100 年企業研究員会の委長でいらっしゃます。
<公益性について>
私で四代目になるが、花火はみんなが見て喜ぶものであり、それが作り手の喜びにもつながる。
花火を通じて、喜んでもらうのが仕事の軸になっている。
<世代交代にあたって、苦労などはなかったか?>
平成 19 年に先代が亡くなり継承した。
生前「お客様は神様は当たりまえ、本当は従業員が神様だ」と言われていた。
ピンと来ていなかったが、父親亡くなってだんだんと分かった。
この後も継承していきたいと思っている。
<社員教育について気をつけていることは?>
私自身を含めて職人が6人、花火大会の時に手伝ってくれる人が40人いる。
花火大会の時の仕事はきついが、お互いに助け合いながらやっている。
先代から受け継いだ精神がうまくいっていると思う。
<今までピンチはなかったか? どう乗り越えてきたか?>
花火屋の数は多くない。
また、花火大会は景気に左右される。
だが、仕事が減っても社員を切らずにやってきたので、その姿勢を見て従業員がついてきてくれているのではないか。
バブルも経験をしたが、花火以外には手を出さなかった。
おかげでダメージはあったが、比較的少なかった。
東日本大震災時は、売上を大きく下げたが、西日本の同業者から注文をもらったり、逆に東北の業者を支援したりと業界内での助け合いがあった。
<100年後に向けて>
100年後もこの業界が残っていてほしい。
今の状態に胡座をかいてはいけないと思っている。
先人からの花火の歴史を継承していきたい。
新しい花火も必要だが、抜きん出た日本の花火の技術を受け継いでいきたい。
<職人気質の人が減っているが何か対策はあるか?>
ウチの会社の場合、年々参加してくれる人が増えている。
人対人であり、お手伝いいただいている人の中で、花火に興味がある人を誘って一緒にやってもらう。
ただ、花火大会も昔は人が中心でやっていたが、年々コンピューターで管理するようになっている。
システム化されて安全だが、一度エラーが出ると対処できない。
技を継承することと、安全性のバランスが難しい。
とは言え、花火大会の際に手伝ってくれる人は「花火が好き」という人が多く、ありがたい。
<高徳花火向上の強みは何か?>
花火に対する思い入れは、従業員を含め高いと思う。
周囲にお世話になっているので、それを返していきたい。
そうしていけば高徳花火工場のブランドは消えない。
以上