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「人としての在り方」や「生きるとは」を学ぶため、2022年9月2日、比叡山十二年籠山行満行者である宮本祖豊師の法話会を開催いたしました。
宮本師は、天台宗の僧侶です。1997年に好相行を満行され、比叡山で最も厳しい修行の一つである十二年籠山行に入り、2009年に戦後では6人目となる満行を果たされています。その後、比叡山延暦寺円龍院住職、比叡山延暦寺居士林所長を経て、現在は同観明院住職、大講堂輪番職を務めていらっしゃいます。
2年前にがんが見つかり、昨年ステージⅣの宣告を受けているそうですが、命の残り時間を知ってなお、己を磨き高め、一隅を照らしていく覚悟にいささかの迷いも動揺もありません。今回は体調が万全ではない中でしたが、PICCの理念にご賛同いただき、法話会を快く引き受けてくださいました。
法話会では、ご自身が仏門に入られた経緯や好相行、十二年籠山行の体験を中心にお話を伺い、後半は大久保会長と対談形式で心のコントロールの仕方や運・縁の生かし方などをテーマにお話を伺いました。また、最後は参加した経営者からの質疑応答にも応じていただくことができました。大久保会長との対談の中から、エッセンスを少しだけご紹介いたします。
大久保会長: 修行に向き合う際には、強い心、何があっても曲げない、諦めない心が必要だと思います。我々経営者の事業もそうですが、人が何かを為すためにもとても大事な心持ちです。どうすればそのような強い心を持てるようになるでしょう?
宮本師: 忍耐力というのはもちろん大切ですが、もう一つは目標を持つということが非常に大切です。仏教では「願力(がんりき)」、強い心で願うことで神様、仏様の特別な力が加わると言われています。不退転の心をもって願い、「これが成就するまで私は絶対に引かない」、という強い思いがあることが大切であり、このような強い精神力を持った時に、初めて神仏の加護というのがあるのだろうと思います。
大久保会長: 強い心を持っていたとしても、人は運にも大きく左右されます。運気を高めていくためにはどうすればよろしいでしょうか?
宮本師: これは著書『覚悟の力』(致知出版社)にも書いておりますが、確かに人間には、持って生まれた運というのものがあると思います。それは前世で培ってきたもの、というのが仏教の考え方です。そうした過去はいまさら変えようがありません。しかし、自分の行動によって現世での運を少しずつ転換していくことはできます。どうすればいいのかというと、善行を積み重ねて徳を高めていくのです。そうすれば運は少しずつ上を向き始めます。
私自身は、行をやるたびに自分の徳が少ないと感じています。それは自分の内面のところもありますし、それ以外の部分のところだったり、あるいは神仏の加護であったりもします。私の先輩の行者もそうですが、その土地の神様などに非常に加護を求めるのです。その時に何が必要になってくるかというと、人間としての徳を積むことです。それを積んだ上で強い目標を持つこと、不退転の心を持つことが求められます。そのためには一番何が必要なのかというと、私は誠実な心だと思います。これが徳を積む上で一番重要であり、これさえできればおそらく他の多くの徳目は、自然と身についていくのではないかと思います。
大久保会長: 「欲望」というものは人を動かすプラスの力になるものだと思います。ただ一方で、その「欲望」に動かされすぎると人の道を外れたり、他人に迷惑をかけたり、マイナスに働くこともあり、多くの人が失敗したり、後悔したりしています。人間は「欲望」とどのように向き合い、制御していくべきだとお考えですか?
宮本師: 修行で何が一番問題になってくるかというと、やはり「欲望」の部分です。人と比べるのは難しいところですが、私自身は多欲な方ではなかったと思いますので、そういう意味では修行しやすかったのではないかと思います。
天台宗は、開祖の最澄聖人が中国に渡り、中国の天台宗の教えを学んで開いたものになります。その基本となりました中国の天台宗を完成したのは天台大師・智顗(ちぎ)という方でございます。天台大師は、若い頃に「禅」という言葉で仏教を全てまとめました。後に円熟された時、この「禅」を「止観(しかん)」という言葉で改めて説明しました。心をとどめて観察する、そこで得られた知恵が本物である、と。
この「止」というのは何が大切かというと、心を止めることです。煩悩が多ければ、当然、心は揺れています。まず心の揺れを止めなければいけません。そのためにお坊さんには守るべき戒律があり、私は好相行を終えた時、「戒律を守り12年間修業します」という誓いを立てました。
ところが、実はいまの日本というのは、お坊さんにとっての戒律に当たる部分が欠けているのですね。戦後はいろいろな部分が壊されましたので、まずは経済的に頑張りましょうということで経済だけは発達していったのです。ところが、心の部分だけ置き去りになっていった。これはアメリカの影響を受けた戦後教育の副産物ともいえるかもしれません。情操教育や道徳教育が実践されなかったため、「止」の部分がおろそかになってしまったのです。
そして「観」というのは、字の通り。きちんと観察することでそこから知恵が出てくるということです。つまり「止観」とは、「止める」と「観る」の二つのバランスをとることが、最も大切なんだということです。心を止めることで、初めて定まった精神で物事を明らかに見ることができるようになるのです。
しかし、多くの人は「止」ができません。いわゆる心が揺れている状態です。けれども、知識だけ教え込まれていくと、「観」だけが、知恵だけが非常に優れている状態となります。これを何というかと言えば、天台大師は「狂者」だと言うのです。そして逆に、道徳を守って、心はある程度揺れなくて、非常にいい人間ではあるけれども、学ぶことをしない人もいます。これを何というかというと「愚者」です。
人間というのは「止」と「観」のバランスが取れたときに、初めて成長するのであって、これが欠けていて、あるいはバランスが崩れていたら人間として真っ直ぐではなく横に進んで行ってしまいます。いわば、車の両輪なんですね。真っ直ぐ進むためには、必ずバランスが取れていなくてはいけません。まさしく戦後の教育というのは、この頭を使う「観」、知恵の部分ばかりを強調して、「止」の道徳の部分をおろそかにしてきました。いわば、頭だけ賢く心が乱れた狂人をつくっているに等しいのです。だからどんどん凶悪犯罪が増えている。その背景となっているのは、こういう部分にあるのです。人間というのは、道徳という部分が非常に大切なのです。ぜひ、政府や教育機関には、そういう部分も認識していただき、見直していただくべきかと思います。
参加した経営者は皆、大いに得たものがあったようです。今回学んだ「徳を積むこと」「誠実であること」「会社を取り巻く関係者すべてを大切にすること」については、PICCでもいろいろな形で伝えてきたつもりでしたが、今回、宮本阿闍梨のお話を受け、その大切さに本当の意味で腹落ちできた様子です。
参加した経営者の中では、「徳を高めよう」「徳を積もう」が合言葉のように飛び交っていました。これは覚悟を持って生き、修行されてきた宮本師から発せられた言葉だからこその力なのだと思います。何を言うかではなく、誰が言うか。人徳の持つ力を目の当たりにした気分です。宮本師からいただいたお言葉を力に、会員一同、これからも王道経営の実践に励んでいきたいと思います。