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【PICC会員企業紹介 大久保会長との経営談義】
※ 本記事は、2019年4月に株式会社フォーバルから刊行された『王道経営』第4号に掲載されたものであり、掲載当時の情報となります。
福岡県を中心に31事業所を持ち、600名強のスタッフを抱える宝満会グループ。その中心になって事業を強力に推し進めているのが白水ルリ子さんだ。若い頃に個人で1億3700万円もの借金を抱えてしまったものの、アルバイトを掛け持ちするなどして完済。地元に築いた確固たる信用と持ち前のバイタリティを武器に前進する白水さんに、今後の夢などについて伺いました。
株式会社晴天 代表取締役
社会福祉法人宝満福祉会 理事長
白水ルリ子(しろみず・るりこ)
1969年福岡県みやま市生まれ。福岡外語専門学校を卒業後、幼児の英語講師となる。仲間7人とマイケル・ジャクソン福岡公演を成功させるも、お金を持ち逃げされ、26歳で1億3700万円の借金を抱えたものの、30業種ほどのアルバイトをして借金を返済。返済中の2002年に葬儀専門の人材派遣業㈱晴天を設立。2010年からは社会福祉法人宝満会と提携し、2017年に同会理事長に就任。
――白水さんは株式会社晴天(あおぞら)の代表取締役のほかにも非常に幅広く事業をされていますが、具体的にどのようなものなのか、まずは教えてください。
白水 事業の拠点は福岡県で、社会福祉法人宝満福祉会を中心とする宝満会グループでいくつかの事業を展開しています。
そのなかのひとつに私自身がベンチャー企業として15年前に立ち上げた㈱晴天があります。この会社は、全国の葬儀社を対象にして、葬祭専門の人材派遣やその教育、24時間対応のコールセンター事業などを行なっています。
㈱晴天は2010年から宝満福祉会と提携して介護福祉施設内での葬儀サービス(一般財団法人日本縁と福祉振興会)を開始しました。これをきっかけに両者の縁が深まり、2014年には㈱宝満事業団が㈱晴天の株式の過半数を取得する形で合併。2017年からは宝満福祉会の前代表である白水誓一がグループ全体の会長になり、私が宝満福祉会の理事長を務めています。
宝満福祉会は介護事業と発達障害のお子さんたちを対象にした福祉事業を幅広く展開しています。この事業がグループ内でいちばん古く、1973年の創業ですから、今年で46年目を迎えました。
グループの事業としてはほかに2013年に設立した医療法人宝満メディカルがあり、2016年には博多おおぞらクリニックを移転させることができました。グループ内の介護施設には当然のことですが高齢者が大勢いらっしゃいます。その高齢者の皆さまのお役に立つには医療法人が必要という気持ちがあったからです。
最後にいちばん新しいビジネスとして、2018年の秋から、医療法人のワンフロアーを改造してスタートした脳梗塞リハビリ事業があります。
宝満会グループの施設の数は全部で31事業所あり、スタッフは介護、医療などすべての事業を入れると600名強になります。施設は基本的に九州にありますが、東京は人口も多くて介護を必要とする高齢者の方々も増えているため、東京進出の最初の拠点として、世田谷区の三宿に事業所を構えています。また、練馬区の江古田にも新しい事業所をつくる予定です。
――スタッフを集めるのは大変だと思いますが、人を採用する際に、「ここは必ず見るようにしている」というポイントはありますか。
白水 うちは経験者であるかどうかも含めて、キャリアはいっさい気にしません。学歴も不問です。ただ、うちの会社で働こうと思った目的は何なのか、うちで何をしたいのかということは、必ず聞くようにしています。
介護の世界は、何をするにしても資格が必要です。介護福祉士、看護師、理学療法士、社会福祉士、ケアマネージャーなど、介護福祉、医療に関わる以上、それに関連する資格を取得しなければなりません。一事業所につき、この資格を持っている人が何人必要という配置基準も設けられていますから、この分野で仕事をするためには、まず資格ありきなのです。
ただ、一方で資格うんぬんの前に、「子供が大好きだから、発達障害の子供にたくさんの愛情を注ぎたい」といった想いも大事です。私は、むしろこちらを重視したいと考えています。
――社員教育はどのように行なっているのですか。
白水 大事なのは、社員に「辞めたくない。ずっとこの会社で働き続けたい」と思っていただけるような会社にすることだと考えています。
介護業界というのは慢性的な人手不足で完全な売り手市場ですから、会社が従業員を選ぶのではなく、働く人たちが会社を選ぶ形になっています。そのため、いま働いている会社を辞めたとしても、すぐに次の働く場が見つかるので、「この会社で働き続けたい」という意識が希薄になりがちです。
だから、私が常に意識しているのは、社員の離職率をいかに下げるかということです。そのために大切なのは、介護という仕事を生活のためにするのではなく、世の中に必要とされているからするのだ、というように意識を変えてもらうことです。
人生100年時代などといわれていますが、誰もが若い頃と同じ健康、体力、気力、知能を維持できるわけではありません。体を壊してしまい、誰かの介添えを必要とする人は、これからどんどん増えていくでしょう。介護の仕事は、これからの日本にとって、必要不可欠なものになっていきます。まさに社会から必要とされるお仕事なのです。そこを理解して、使命感を持ってもらえれば、離職率も下がると考えています。
そのことを理解してもらうために、さまざまな研修も行なっています。たとえば、1〜3年目の介護職員を対象とした「スキル向上勉強会」を年に5回程度行なっています。ロールプレイングでの実践練習や診断テストなどを取り入れて、基礎力の向上を目指しています。また、やはり1〜3年目の職員を対象に外部講師を招いた接遇マナー研修を毎月1回、主任、管理者、係長を対象とした考課者研修も毎月1回行なうなど、職員の成長に力を入れています。
また、フィリピンの方に働いてもらっていますが、介護の現場では、コミュニケーションが重要になりますから、最低限の会話が成り立つように、日本語のトレーニングを積んだうえで、現場に出てもらうとともに、日々の仕事などを通じて、日本語の勉強をサポートしています。
――施設の周辺には、当然ですが、普通に住み、働き、学んでいる人たちがいます。こうした地域との関係性はどのように築いているのですか。
白水 大事なのは「見える化」です。たとえば日々、施設で生活している高齢者が会話している雰囲気、施設のなかで当たり前のように起こっている出来事を、ブログやフェイスブックなどのSNSに投稿します。加えて、施設内にあるスポーツジムを、近隣の人たちに無料で開放したり、作業療法士が高齢者を対象にして行なっているリハビリテーションのなかから、普通の人たちの健康維持にも役立つことを教えたりもしています。施設のなかで音楽祭を開いたこともあります。
また、地域の方々を施設に呼ぶのではなく、逆に施設の人たちが施設の外へ積極的に出ていく活動も行なっています。先日は、認知症のことをもっと知ってもらうための映画祭を、地域の公民館などで開催しました。
こうした活動を通じて、施設と地域のあいだにある壁のようなものを取り払い、双方向の行き来が自由に行なえるような環境づくりを心がけています。
双方向の関係性を深めることによって、施設で働いている人たちの意識を高めることもできます。介護の仕事は大変で、あまりの大変さに仕事を辞めていく人も少なからずいらっしゃいますが、その大変さを他の人に理解してもらえると、介護の仕事をしている人たちの励みになります。自分たちが、大変ではあるけれども、世の中の役に立つ仕事をしているという自負と自信につながっていきます。これはまさに「心の研修」です。この研修を通じて、皆が優しい気持ちになれるのです。
――米国のあるスーパーマーケットのオーナーが、「支店長になったら地域貢献以外のことはするに及ばず」と言ったそうです。地元のお祭り、イベントには全部参加。さらに支店長にも、地元の人たちとのつながりを強めるようなイベントの企画を立案させます。
とにかく地元と徹底的に密着させる。お店で商品を販売するのが大事ではなく、地域とのつながりこそが大事という発想です。地元の人たちからの理解、応援が得られなければ、その地で仕事をし続けていくことはできません。それと同様に、白水さんの会社で行なわれていることも、非常に素晴らしい取り組みだと思います。
白水 最近は「RUN伴(ランとも)」という取り組みも広めていこうと考えているところです。たとえば膝が悪いけれども市民マラソンに参加したい、車いすだけれども参加したいという方がいらっしゃるとします。そのとき、きちんとした介護技術を持った人がサポーターとして伴走します。
これは本当に感謝されていて、実際に走る参加者も、そのサポーター役に回る人も、同じ達成感を味わうことができますし、二人のあいだには一緒に走った連帯感も生まれます。このRUN伴は思いのほか喜ばれましたので、他のエリアでもできないかと、行政側に持ち込んでいます。
――介護というと、一部の施設で虐待があったといった報道もありました。同じ介護業界にいる者として、この問題をどう考えていますか。
白水 最近、介護施設内において、さまざまな事件が起こりました。報道されている以外にも似たような事例はあると思います。もちろん、私たちにとっても決して他人事ではありません。
介護の仕事は人を介して行なわれることなので、メンタルによって影響される部分が非常に大きいのは事実です。なかには、仕事に疲弊して、入居者に対して暴力を振るいそうになるスタッフもいるかもしれません。
もちろんそうならないように、メンタルが追い込まれないための方策は、手を尽くして講じているつもりですが、それでも100%、すべてスタッフが仕事に満足をし、心から喜んで日々の仕事をこなしているかと問われれば、そうだと断言するのは難しいと思います。
ただ、スタッフによる暴力を未然に防ぐ方法はあります。それは、ちょっとしたサインに気付けるかどうかだと思います。メンタルが疲弊しているスタッフがいれば、他のスタッフがそれに気付くはずです。そして、変化に気付いたときに、それを上に伝えるためのパイプが整備されているかどうかだと思います。パイプがあれば、問題が深刻化する前に対処できます。問題の芽は、できるだけ小さいうちに摘み取ることが大切です。
いま私たちが取り組んでいるのは、四半期ごとに行なっているアンケート調査です。これは、スタッフ同士が、お互いのことを厳しくチェックすることに主眼を置いています。つまり、自分以外のスタッフにおかしな言動が見られたときは、実名でそのアンケートに書き込めるようにしているのです。もちろん、逆に自分自身も、他のスタッフから厳しい評価を受けることになります。
アンケートを始めた当初は、やはり「陰口、悪口を言っているようで気が引ける」という意見が多数寄せられました。スタッフも動揺したと思います。しかし、このシステムをしっかり機能させることが、利用者へのサービスのクオリティを高め、より良い環境を整え、最終的には利用者が「この施設に入って良かった」と喜んでくれることにつながると思います。
そのことをしっかりと説明して、納得してもらったうえで導入したのです。
――そこで実名が上がった人の評価はどうなるのですか。
白水 最初から評価を下げてしまうと、皆、萎縮してしまいますから、1回目については評価を下げません。ただ、2回目、3回目で改善が見られない場合は、評価に反映させることを検討します。
たとえば利用者に対する言葉遣いが乱暴だったとか、暴力とまではいわないまでも、ちょっとだけ強い力で利用者の腕を引っ張ったといったことは、どうしても起こってしまいます。ただ、それを仕方がないことだと放置しておくと、必ず大きな問題に発展します。
だから、小さな芽のうちに、本人にもきちんと指摘するのです。それで改善できるスタッフもいますし、改善できないスタッフもいます。後者は自然に会社を去ります。それを日々、継続していくことによって、少しずつではありますが、組織が良い方向に進んでいくものだと信じています。
――2018年の秋にスタートした脳梗塞リハビリ事業は、いままでの仕事とはまったく異なるジャンルのように見えます。なぜリハビリ事業をスタートさせようと思ったのですか。
白水 最近、40代、50代で脳梗塞を発症される方が増えています。不幸にして亡くなられる方もいらっしゃいますが、一命をとりとめた方は、リハビリによって社会復帰を目指します。
リハビリはまず、一定期間は病気の治療として、症状を改善させることを目的としたものを医療保険で受けることができます。この期間が過ぎたあとは、介護保険でリハビリを行なうのですが、実はここにミスマッチがあることに気付きました。
それは、介護保険を使ったリハビリは、病状を改善させることが目的ではなく、病状をこれ以上悪化させないことが目的だというところから生じています。
実際の患者さんは、病状を悪化させないためにやるのではなく、状況を改善したいと思っています。そうであるにも関わらず、改善のためのリハビリは、介護保険ではできないのです。
実際、介護保険でできるリハビリの時間や内容では、悪化を食い止めるまでは何とかできても、治すところまでできるとは言い切れないのです。ですから、患者さんに対しても、病状が改善すると期待させるようなことは言えないというのが、脳梗塞リハビリの現場での本音でした。
そこが私にはもどかしかったのです。スタッフが治ると思っていなければ、それは患者さんにも伝わってしまいます。それでモヤモヤしていたときに、60日で脳梗塞による障害を治せるというリハビリを実践されている方と出会い、そのノウハウを学ばせてもらうことにしました。
ただ、この治療法は介護保険の範囲ではできませんから、私どもの事業としては、介護保険に依存しないビジネスモデルということになります。私たちはこれまで介護保険、医療保険に依存しているビジネスを手がけてきましたが、日本の財政状況を考えると、このままではいけないと考えていました。そんなときに、脳梗塞による障害を治せるというリハビリを実践されている方と出会ったのです。
――これからの夢は何ですか。
白水 国際交流に参加して養護施設を回ったときに、それまで人生は平等だと思っていた自分の誤りに気付きました。生まれた国、家庭環境の違いによって、素晴らしい人生のパスポートを生まれながらにして持っている子供もいれば、そうでない子供もいる。その日の
食べ物に困るような生活を強いられている子供も大勢いるのです。そういう子供の力になるために、養護施設で生活している子供と介護施設で生活している高齢者、あるいは地域を結べるような仕組みをつくりたいと考えています。養護施設という周辺から隔絶された場所で子供を育てていくのではなく、地域全体として、虐げられた子供を見守りながら育てていける環境をつくっていくのが、これからの夢です。
――白水さんはとても明るくて、挫折を知らないように見えて、実は過去大変な思いもされているそうですね。その話を最後にしていただけますか。
白水 いまから22年前のことですが、福岡の地域おこしを狙って、何か大きなイベントをやろうと、仲間同士で盛り上がり、なんとマイケル・ジャクソンを福岡ドームに呼んで、2日間のコンサートを実現させました。
ただ、大物アーティストを呼べるだけの財源がなかったので、とりあえず出資者を募り、コンサートチケットの売上で返済しようと考え、私は1億3700万円を集めました。コンサートはもちろん大成功で、出資者に返済しようとしたら、突然、仲間の一人がチケットの売上を持ち逃げしてしまったのです。その結果、私の手元には1億3700万円の借金が残されました。自己破産するのは簡単ですが、それをやったら自分の信用は完全に失われます。だから、返済することにしました。
1億3700万円という金額だけを見れば、押しつぶされそうになりますが、これを15
年で返済するとしたら、1年で913万円。1カ月だと76万円。1カ月は30日だから、1日あたりの返済額は2万5000円。1日は24時間だから、1時間あたりで1000円強。そう考えると、なんだか返済できるのではないかと思い、とにかく睡眠時間を削ってアルバイトを掛け持ちし、その間に㈱晴天を立ち上げたりもし、最終的には10年間で完済しました。
このときの経験から学ばせてもらったのは、数字に対する意識の仕方です。一見、途方もない額のお金でも、年単位、月単位、日単位、時間単位というように細分化していけば、現実的な数字が見えてきます。これはいま、経営者として事業を行なう際にも心がけています。
――人生において大事にしていることは何ですか。
白水 3つあります。1つ目はどんなときも笑顔でいること。借金を抱えたときも、とにかく笑顔は忘れないようにしていました。
2つ目は考えながら足を動かすこと。時は金なり。動いた分だけ、何かになります。
そして3つ目はきちんと向き合うこと。これは大事です。ピンチはチャンスと言いますが、それはピンチとどれだけきちんと向き合うかによって変わってきます。きちんと向き合った分だけがチャンスになると思います。
――どれだけ苦しいことに直面しても諦めない。素晴らしいことだと思います。これからも頑張ってください。
介護、障害福祉、医療、住宅、相続、お看取り、お見送りまでの一貫したサービスを総合的に提供。福岡県と東京都で31の事業所を展開している。
“ 愛と感謝” 世界で一番たくさんのありがとうを集めよう
「ご利用者様に」「ご家族様に」「職員に」「地域社会に」愛と感謝を
1973年 社会福祉法人 宝満福祉会 設立
1974年 盲養護老人ホーム 寿光園 開設
1979年 特別養護老人ホーム ちくしの荘 開設
1999年 ケアプランサービス ちくしの荘 開設
2003年 株式会社晴天 設立
2004年 ちくしの荘 デイサービスセンター 開設
2006年 在宅介護支援センター(1998年開設)から筑紫野市地域包括支援センターちくしの荘に移行
2007年 ホームヘルプサービス ひかり 開設
2008年 株式会社宝満事業団 設立/デイサービスセンター陽だまり開設
2009年 生活支援住宅 宝満ヴィラ美しが丘 開設/ちくしの荘 ショートステイ 開設/縁と福祉財団設立
2011年 グループホーム宝満ラポール大野城 開設/小規模多機能ホーム 宝満ラポール大野城 開設/訪問看護ステーション 宝満 開設
2012年 小規模多機能ホーム 宝満ラポール原田 開設/ケアプランセンター宝満 開設/デイサービスセンター 宝満ヴィラ大橋南 開設/住宅型有料老人ホーム 宝満ヴィラ大野南 開設
2013年 住宅型有料老人ホーム 宝満ヴィラ高宮 開設/医療法人宝満メディカル 設立/ホームヘルプサービス宝満ヴィラ 開設
2014年 株式会社晴天と株式会社宝満事業団が合併
2015年 放課後等デイサービスあおぞら縁 東京世田谷に開設/同あおぞら縁 ちくしクラブ 開設
2016年 医療法人宝満メディカル博多おおぞらクリニック 移転/放課後等デイサービスあおぞら縁 ちくしクラブ2 開設
2018年 脳梗塞リハビリワン開設
※ 本記事は、2019年4月に株式会社フォーバルから刊行された『王道経営』第4号に掲載されたものであり、掲載当時の情報となります。