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【PICC会員企業紹介 大久保会長との経営談義】
※ 本記事は、2019年12月に株式会社フォーバルから刊行された『王道経営』第8号に掲載されたものであり、掲載当時の情報となります。
「広島でいちばん必要なクルマ販売会社になる」ことを志して会社を創業したさん。常に近所の人たちを大切にしていた祖父の教えである「土地に惚れ、仕事に惚れ、女房に惚れなさい」をサンボレという社名に込めて、徹底的に地域と密着し、地域の人たちにとって不可欠な会社になることを目指しています。その小田社長に、これまでの歩みと今後の夢について伺いました。
株式会社サンボレ
代表取締役 小田修久(おだ・のぶひさ)
1977年、広島市生まれ。広島工学院専門学校卒業(2級自動車整備士資格取得)。日産プリンス広島販売㈱に整備士として入社した後、大手中古車販売会社などを経て、2005年にサンボレを創業。2019年、工場併設の新社屋へ移転。地域貢献活動としてサンボレ祭りや出前授業などを実施するなど、ユニークな経営を続けている。
https://sanbole.com/
――株式会社サンボレは広島県佐伯区に拠点を構えている自動車販売業です。販売のほかにも、買取や洗車・コーティング、一般整備、板金、リース、保険業といった、自動車周りの仕事を地域密着で幅広く行なっています。会社の設立は2006年、小田さん自身が創業者です。2019年に入って本社と整備工場を新築移転させるなど、ますます勢いに乗っています。まず、私が興味を持ったのが「サンボレ」という会社名です。この由来は何ですか。
小田 社名はカタカナ表記ですが、漢字で書くと「三惚れ」になります。この社名にした理由には独立した経緯がかかわっていますので、そこから話をさせてください。
もともと独立志向で、18歳のときにクルマ屋になりたいと思いました。その夢を実現するため、がむしゃらに頑張っていたときに、母がガンにかかり、余命2カ月と宣告されてしまいました。それで、母が生きているあいだに何とか独立して安心させたいと思い、後先も考えずに起業しました。結局独立する前に母は亡くなってしまったのですが、そんな経緯ですから、会社はつくったものの、どういう会社にしたいのか、将来どうしたいのかなど、まったくノーアイデアでした。
さて、これからどうしたものかと考えながら、子供の頃から尊敬していた祖父の墓参りに行き、墓前に手を合わせていたときに、祖父に子供の頃からずっと言い聞かされていたことをふと思い出したのです。それは「土地に惚れ、仕事に惚れ、女房に惚れる。この3つに惚れることを大事にしなさい。そういう人物になりなさい」という教えでした。そして、その言葉を会社の冠にしておけば、何か起こったときに道を間違わずに済むかもしれないと思って、サンボレという社名にしました。
――良いお話ですね。小田さんがそもそも独立志向だったというのはどうしてですか。
小田 私は中学2年生のころから学校が嫌いになり、高校も半分くらいは行きませんでした。15歳から18歳まで目標のない毎日を過ごしていて、それがいかにつまらないものかを実感しました。だから、18歳でクルマ屋をやりたいと思ったときに、自分の心に自然に湧いてきたその感情を大事にしたいと考えました。
クルマ屋を始めるためには、自動車整備士の国家資格が不可欠ですから、まずは専門学校に通いました。卒業後は、大手自動車メーカー系の販売会社に入社して、整備士の仕事を始めました。とはいえ、朝7時から深夜1時まで働き詰めて手にした給料は手取りで12万円ちょっと。これでは独立資金をためることはできないと思い、上司に相談したところ、転職して営業をやってみてはどうかとアドバイスされ、広島県でいちばん大きく商売をしている中古車販売店に転職しました。そこで勉強をさせてもらった後、県内の別の自動車販売店で、お金持ちのお客様を大勢持っているところに転職し、さらに個人ブローカーをやってい
る人の事務所でアシスタントのような仕事をして、クルマに関することはすべてできるようになってから、独立に踏み切ったのです。
――独立した際に苦労したことは何ですか。
小田 やはりお金ですね。独立しようと踏み切ったときの自己資金は30万円しかありませんでした。家賃30万円以内を条件に店舗を借りましたが、1カ月後に手持ちの30万円を家賃の支払いに充てるということは、次の家賃分の資金をつくるのに都合2カ月しか猶予がないという、綱渡りのようなギリギリのスタートでした。
少しでもお金を稼がなければならないのに、会社としての実績がまったくなかったので、ローン会社が提携してくれず、現金のお客様にしか販売できませんでした。ほかにも部品商が部品の取り扱いをさせてくれないとか、修理工場に入れさせてもらえないといった問題もありました。
もっとも、そうした事態は想定していましたから、お客様に事情を説明したうえで、それでも応援してくれるのであれば100万円、150万円の購入金額を先払いしてくださいということで、商売を始めました。たまたま、そんな無理なお願いに付き合ってくださるお客様が数名いらっしゃったので、何とか事業を軌道に乗せられたという次第です。そのときのお客様には本当に感謝しています。事務所にぽつんと机があるだけで、お店の敷地にはクルマが1台もなく、お金を先にもらってからクルマを買い付けるという状況だったにもかかわらず、よくお客様になっていただけたものだなといま、改めて思います。
――開業当初にお金以外で苦労したことはありましたか。
小田 人の面では、友人の奥さんなどが無給で働いてもいいと言ってくださったのですが、やはりお金がないと継続できません。当初、私を含めて3人で事業を始めましたが、2年後には2人とも辞めて、そこからしばらくは一人で仕事をしていました。その後も何人か社員が入ってきてくれたにもかわらず、途中でケンカしてしまって再び一人になるということも経験しました。
――組織が安定したのはどのあたりからですか。
小田 会社を設立して6、7年目あたりからですね。社員を募集するのではなく、自分の友人とか、お客様のなかから働いてみたいという方を雇用しました。現在は正社員が3名、パートタイマーが6名です。そのうち6名が子育てで奮闘している女性従業員です。
――女性従業員の割合が多いように感じますが、何か理由はあるのですか。
小田 自動車販売というと男性の仕事というイメージが強いのではないかと思います。しかし、われわれが目指しているのは、高級車をお金持ちに販売するだけでなく、地域で自動車を必要としている人に、納得できる価格で、必要とする機能を付けた自動車を提供していくことです。そうであれば、何も男性だけではなく、女性もやれるはずだと思っています。
また、結婚して子供がいる女性が積極的に仕事をすれば、会社で起きた話を家で子供や旦那さんに話すことによって家庭のだんらんにつながりますし、それがひいては家庭円満のもとになります。
さきほどお話したように、サンボレという社名の由来は、土地に惚れ、仕事に惚れ、女房に惚れるという3つの理念ですが、地域を支えている人と一緒に働き、地域に必要とされている仕事をし、家庭の円満にも役立つという点で、多くの女性に働いてもらうことには意義があると思っています。もちろん、もちろんわれわれの理念に共感していただけるのであれば、男性社員も大歓迎です。
お陰様で勤続年数がいちばん長い人で8年。それに次ぐのが5年ですし、女性のリーダーが入社してから、彼女が採用したパートタイマーはずっと続いていますから、働きやすい環境になって、組織も安定していると思います。
――組織が安定してきた背景には、地域のなかでサンボレという会社が認められてきたことも大きいようですね。
小田 たとえばある社員がサンボレで働き始めたきっかけは、子供が毎日、サンボレの前を通って小学校に通学しているうちに、「お母さんにサンボレで働いてほしい」と言ってきたことだそうです。
このように、地域に密着して、地域の人たちに愛されていることと、社員の家族もいろいろな形で会社に参加できるようにしていることがサンボレの特徴です。
たとえば、「チャリティサンボレ祭り」というものをかれこれ13年続けています。年に1回サンボレの敷地内でます釣りや射的などのゲームができるほか、全員参加型のビンゴゲームや餅つき大会なども実施しています。会場ではフライドポテトやからあげなども販売していますが、売上は地域の子ども会や自治会に寄付しています。そこに社員やパートのお子さんが参加して手伝ってくれたりします。また、イベントがなくとも、夏休みや春休みに社員やパートのお子さんがサンボレの敷地に集まって遊んだりしています。
――サンボレ祭りを始めたきっかけは何ですか。
小田 いまでは毎年1500人を超える人たちに参加してもらっていますが、そもそもなぜお祭りを始めようと思ったのかといえば、これも祖父の教えが生きているのだと思います。
祖父は満州で戦った後、ロシアの捕虜になりました。音信不通で、死んだと思われていたなかで、ある日、ひょこっと帰ってきたそうです。帰国後は広島県の安芸高田市で大工仕事をしていたのですが、当時は住む家がない人が多かったので、その人たちが住めるようにと借家を建てました。当時の家がまだしっかり残っているのですが、祖父の想いを継いで、クルマ2台分の駐車場がついて家賃は月2万円と、周辺の相場よりもかなり安く貸しています。
また、祖父は大工を辞めた後は畑仕事に精を出して、大根をつくっていました。これについても自分は1本あれば腹いっぱいになるから十分ということで、残りの大根はすべて、畑から家に帰ってくるまでの家々の軒先に置いて帰ってきたそうです。自分が食べる分のほかにたくさんの大根をつくるのは、近所の人たちが食えるようにするためであって、それは農家の務めだと言っていました。
――素晴らしいお祖父さまですね。
小田 ほかにも、家の庭にあった柿の木にまつわるエピソードがあります。戦後、食糧難だった頃、何か少しでも食べられるものをということで、家の庭には柿の木がありました。ところが、実がなると近所の人が勝手に採って食べてしまい、それを見た祖父の母親が、採った人をドロボウ扱いしたそうです。すると祖父は、その柿の木を切って捨ててしまったのですが、その理由は、自分の母親が近所の人をドロボウ扱いするのを見たくないということと、そもそも争いの元になるくらいなら、そんな柿の木はいらないという考えによるものだったそうです。私はそういう祖父の考え方や生き方を尊敬して生きてきましたから、少しでも地域の人たちの役に立ちたい、地域を盛り上げたいという気持ちが強く、それがサンボレ祭りを始めたきっかけのひとつとなっています。もちろん、われわれがお祭りを行なうだけでなく、毎年行なわれる「町内運動会」や「ししまい」の奉納など、町内の行事にも積極的に参加しています。
――以前、新聞に「トイレを借りに小学生が来る店」という見出しでサンボレのことが紹介されているのを読みました。これも象徴的なエピソードですね。
小田 トイレには年間延べ800人くらいが立ち寄っていると思います。登下校の小学生がトイレを借りたいと言ってきたときに、貸してあげられないようなお店では、地域に密着しているとはいえません。自分の子供がもしそういう状況だったらと考えれば、誰でも貸すのは当たり前だと思うのではないでしょうか。
私は、商売というのは、地域の人たちに根付いていくことが何より大事で、そこがビジネスとは違うところだと思っています。商売人は地域の人たちの顔を思い浮かべながら、彼らが明るく地域での生活を送れるようにすべきです。それができないのであれば商売人ではなく、ビジネスマンになるべきです。
ですから、トイレを借りたいということ以外にも、何か困ったことがあって頼られたら、それにきちんと応えられるお店、従業員でありたいと日頃から考えています。
――2019年には新社屋を建てました。何か思うことがあったのですか。
小田 うちで働いている整備のスタッフのために、工場の設備を整えなければならないと思ったことがきっかけです。
彼はトヨタ自動車の整備員として働いて、結婚を機にトヨタを辞め、次の職場で働いていたところ、仕事中に右手の腱を切断してしまいました。その彼がサンボレ祭りにきて、働かせてもらえないかと言ってきたのが2年前です。右手が利かないのでケガをしてもいけないと思い、1年間、右手の様子を見ながら無理のないところで働いてもらったところ、徐々にリハビリの成果が現れて右手が動くようになりました。そうやって前向きに努力をする姿勢を評価して、正式に採用したのですが、やはり工場に新しい設備があったほうが負担を軽くできるので、彼が活躍できる環境を整えようと思い、新工場の設立と本社の移転を考えたのです。
もちろん、移転先も同じ学区内で物件を探しました。総工費は4億円ほどで、いまの事業規模だと、借り入れ額が重すぎるのではないかという意見も頂戴しました。しかし、私は自動車業界との出会いによって人生に活路を得て、この仕事を通じてさまざまな挑戦を行ない、大勢の人と出会うことによって、人生がより豊かなものになっていきました。今回の新たな投資はまた新しい挑戦につながり、新たな人との出会いや、地域のためになる商売につながるのだから、やるべきだし、うまくいくと信じています。
――そうは言っても、実際に銀行と交渉するにあたっては大変だったのではありませんか。
小田 大久保会長がよくおっしゃっていることのひとつに「仮説を持ってPDCAを回す」というものがありますよね。
私の仮説は、われわれが広島でいちばん必要とされる会社になり、同じように日本の各地で必要とされる仲間が増えるという横展開のなかで、過去、現在、未来という縦の三方良しが成り立つことは正しい道だというものです。そのプロセスに投資が必要であることは当然ですから、お金を借りることに迷いはありませんでした。
そして、今回、大きな融資を受けるにあたっては、地元の銀行で1億円を短期間借り入れ、それを返済したらまた別の銀行で1億円を借り入れて返済するといったPDCAを繰り返してきました。ですから、銀行からの借り入れは十分に計画的なものですし、とくに問題ありませんでした。
――そうやって大きな投資もして、自分が目指している未来のサンボレ像とはどのようなものですか。
小田 ゴールというものはとくに考えないようにしています。以前、「未熟は魅力」という言葉を、ある方に教えてもらいました。こういうふうになりたいというプロセスを想定しているのは当然だけれども、ゴールは設定しないということです。会長はいまも「自分でできていないことがある」とおっしゃいますよね。会長でさえ、そうおっしゃるのですから、私も常に「まだできることがある」という姿勢でいたいと思っています。
――サンボレの「三惚れ」のなかに「仕事に惚れる」というものがありますが、どういうことですか。
小田 仕事というのは人によって価値観が違います。「働く」という言葉には「傍を楽にする」という意味があるなどといわれますが、要するに人々を楽にするためにあると思うのです。サンボレの仕事は、誰かの顔を思い浮かべ、誰かのためにという想いをはせることによって成り立ちます。ひとつの仕事をするうえで協力してくださる協力会社と一緒に、お客様に満足してもらえることを提供することに努力をする。そのためには仕事に惚れることが大事で、そのことを子供たちに伝えることによって、私たちの想いを後世に伝えていくつもりです。
――「女房に惚れる」というのは、どういう意味ですか。
小田 これは家族に惚れるのと同義です。そして、この家族の守り方を後世に伝えていくということも、毎朝唱和しています。
先日、40歳でうちに入ってきた社員がいました。もともと広島を代表する大企業に勤めていたのですが、やはりいろいろ仕事が大変だったのか、奥様に「あなたのいまの顔は私が惚れたときのあなたの顔と違う。こんな顔の男と結婚するつもりはなかった」と言われたそうです。そしてその奥様から、いまの給料が半分になっても構わないからサンボレに入社して鍛え直してもらってこいとも言われたというのです。その彼は1年くらい私といろいろな話をしてから、納得してサンボレに入社しました。
おそらく、奥様から「違う」と言われたときの彼は、家族の守り方を間違ってきたのだろうと思うのです。だから、サンボレでは本当の意味で家族を守る、つまり女房に惚れて家族に惚れる人になってほしいと思っています。
――最後に、小田さんにとって経営とは何か、経営者とはどうあるべきだと考えているかを聞かせてください。
小田 経営とは自分を磨いてくれる砥石です。そして、経営者とは負け方の美学を持った人間であるべきだと思います。
挑戦とかプロセスは右肩上がりで進める必要があります。サンボレはいま14年目ですが、赤字になったことはありません。右肩上がりでないと世の中のために大切な税金を払い続けられないので、毎年10%、15%くらいの成長は続けていきたいと考えています。
ただ、そのなかで私は経営者として後輩の社員たちに負け方を見せていく必要があると思っています。経営者が無敵の常勝将軍だと、下の人間が委縮してしまって、挑戦しようとしなくなります。
挑戦することは大事ですが、常に勝てるとは限りません。それでも、負けが致命的なものでない限り、また挑戦することができます。だから、経営者は上手な負け方を社員に見せていく必要があると思うのです。
――ありがとうございました。
本社所在地:〒731-5141 広島市佐伯区千同2丁目14番11号
業務内容:各種/新車・中古車・輸入車販売、自動車買取、あわ洗車・コーティング、車検、一般整備・板金、自動車リース、東京海上日動自動車保険代理店
従業員数:10名(パート6名)
三惚れ ~土地に惚れ、仕事に惚れ、女房に惚れる~
土地に惚れ(世界): 自分たちが生活する場所・自分の子供が育つ環境・自分が仕事をするエリア・場所を決め根をはる。地に足のついた生活・仕事が豊かさの基本になる。
仕事に惚れ(未来): 一つ一つ積み上げてゆくから楽しく継続できる。サンボレが目指す一流とは奇抜な天才ではなく、誰にも負けないくらい継続出来ること。出会う人・周囲の人・地域社会の役に立てる仕事を目指す。
女房に惚れる(人): 家族を守ることが第一。又、守り方が家族へ伝わる事と考える。先人からの教え、自分たちで学び経験する事。自分たちの家族、子供の成長を大切に、その過程で幸せを感じる価値観、家族・子供に誇れる人生を全うする。
2006年 資本金500万円にて、有限会社サンボレを設立
2007年 綺麗なクルマは事故率が下がるというデータから、手洗い洗車「あわ洗車」開始
2008年 第二展示場を設け在庫台数増
2010年 地域の活性のため、隣接する広島工業大学の女子学生と安心安全をテーマに店舗を改装(メインカラーも緑とオレンジに変更)
2013年 テレビ・ラジオCM開始、商談スペース増床
2014年 有限会社から株式会社に組織変更、東京・大阪の上場企業様向け法人リース開始
2015年 NTTグループ オートリース NCS業務提携
2016年 東京海上日動火災保険フロンティアクラブ認定、広島県内の個人マイカーリース開始
2017年 広島県内の法人リース開始
2018年 社団法人日本中古自動車販売協会連合会より適正販売店に認定
2019年 本社および整備工場を新築移転オープン
※ 本記事は、2019年12月に株式会社フォーバルから刊行された『王道経営』第8号に掲載されたものであり、掲載当時の情報となります。