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PICC会員企業紹介 株式会社ラポールヘア・グループ

経営の優先順位は社会性、独自性、経済性。被災地から公益資本主義を目指す

【PICC会員企業紹介 大久保会長との経営談義】(『王道経営』第3号より)
 

32歳で上場企業の役員になり、次期社長とまでいわれていたのに、東日本大震災を機に企業の社会性に目覚め、縁もゆかりもない石巻に行って新たな事業を起こした早瀬渉さん。「制約人材の雇用」という目的を掲げ、被災地から全国に向けて事業展開を続ける取り組みについて伺いました。

経営の優先順位は社会性、独自性、経済性。被災地から公益資本主義を目指す

株式会社ラポールヘア・グループ

代表取締役 早瀬渉(はやせ・わたる)

1976年生まれ。2000年に24歳で、日本初のクイックメイク専門サロン「アトリエはるか」を創業。

40店舗10億200人の会社に育てる。同社の事業譲渡後、32歳でモッズ・ヘアジャパンへ入社。入社1年後、役員に就任し、直営店やFC店の営業統括、FC経営者への経営指導、店舗開発、マーケティングに携わる。東日本大震災を機に美容業界の発展に寄与するため同社を2011年4月末に退社。同年7月に株式会社ラポールヘア・グループ設立し、代表取締役に就任。同年10月に1号店をオープン。一般社団法人公益資本主義推進協議会 宮城支部副支部長。

https://www.rapporthair.com/

自ら創業した事業を売却して上場企業の役員へ

――早瀬さんは、24歳でクイックメイク専門サロンを起業し、31歳までに日本全国40店舗、200名の従業員を抱えて売上10億円の事業に成長させました。その後、モッズ・ヘアジャパンに転身してアジア統括役員。このまま行けば、モッズ・ヘアグループの社長というところまでいっていたのが、そこを辞め、東日本大震災で大被害を受けた宮城県石巻市を拠点にして、ラポールヘア・グループを立ち上げて、現在に至っています。まずお聞きしたいのは、なぜ24歳で起業しようと思ったのか、ということです。

早瀬 20歳のとき、社長になろうと思いました。父が大工だったからか、私は大学に進学するとき、建築科を選びました。

 でも、肌が合わなかったのか、19歳で中退し、ITの専門学校に入り直しました。当時はITが世の中に出始めたときで、ITを舞台にしてベンチャー経営者がどんどん輩出されてきたのです。また、ソフトバンクの孫正義さん、パソナの南部靖之さんエイチ・アイ・エスの澤田秀雄さんが「ベンチャー三銃士」といわれていた時代で、メディアなどでも盛んに、「ベンチャー経営者が世の中を変える」といった話が取り上げられていました。それで、皆を幸せにするために起業したいという気持ちがどんどん大きくなり、20歳で社長になろうと思うようになりました。

――最初からヘアメイクの仕事で起業しようと思ったのですか。

早瀬 最初はITや人材派遣などを考えていました。とにかく、いろいろなビジネスモデルを考えつつ、起業のチャンスをうかがっていたのですが、ある日、デパートに出かけたら、そこの1階で女性が長蛇の列をなしていたのです。「これは何だ」と思ってのぞいてみたら、外国人のメイクアップアーティストが、女性の顔にメイクをしていました。化粧品の販売促進で、無料でメイクをしていたのです。

 知り合いの女性に「これはどういうことなのか」と聞いてみたところ、「女性は自分のメイクの仕方が、実はわからない」と言われました。たしかに化粧品売り場に行けば、各メーカーの美容部員がいて、いろいろ化粧をしてくれるけれども、あれは化粧品を売るためのメイクであって、自分のためのメイクではありません。そして、自分のためにプロにメイクをしてもらう場所もないのです。つまり、メイクとか髪のセットをするサービスが、当時の日本にはなかったのです。そこで「もしプロのメイクアップアーティストが、短時間でメイクやヘアセットをやってくれるお店が、身近な行きやすいところにあったらどうですか」と、いろいろな女性に聞いてみたところ、「そんなお店が近くにあったら通う」という意見が多かったので、ヘアメイクの専門店という、それまでの日本にはなかったサービスを展開しようと思って始めたのが、クイックメイク専門サロンのアトリエはるかでした。

――そのサロンを、早瀬さんは7年間で40店舗まで展開させ、10億円の売上を上げるまでに成長させたわけですよね。それを、もっと大きくしようとは思わなかったのですか。

早瀬 ヘアメイクの仕事をするためには、美容師免許が必要になり、店舗を開設するためには美容所登録をしなければなりません。つまり、美容室と同じマーケットになります。また、このビジネスがうまくいくのは、政令指定都市の駅ビル、商業施設の中に限られるのです。そうなると、全国展開をしたとしても、せいぜい100店舗、30億円で終わる市場規模です。私としては、1・5兆円ある本丸の美容室のマーケットに乗り込みたいという気持ちが強かったので、他の方に経営を譲りました。アトリエはるかは現在、私の後を継いだ方が経営してくださっており、70店舗まで増えて、表参道の駅地下や六本木ヒルズ、ルミネやマークシティにも入っています。

――その後、モッズ・ヘアジャパンに転身されていますが、それはどういう経緯だったのですか。

早瀬 ヘッドハンティング業界にいる昔からの知り合いから、モッズ・ヘアの社長に会ってみないかと言われたのがきっかけです。

 そのときに伺った話なのですが、モッズ・ヘアの始まりは、実は美容室ではなくヘアメイクアップアーティスト集団だったのです。エルやヴォーグなどの雑誌の表紙を飾っていたモデルさんたちの斬新なヘアスタイルが話題になり、編集者がどこの美容室なのか探したそうですが、彼らは美容室を経営していませんでした。そのころに編集者から「美容室を出してもらわないと、これから先、仕事を発注できなくなる」と言われ、仕方なくパリの郊外に1か所だけ美容室を出したのが、モッズ・ヘアの始まりです。

――いまや、それが世界18カ国230店舗なのですから、すごいことですね。モッズ・ヘアには、どういう立場で入社したのですか。

早瀬 営業統括です。直営店の店長指導、数字管理とブランディングを半年くらいやってから、直営店だけでなくフランチャイズもみてくれとか、商品事業部もみてくれということになり、1年後に子会社の役員、2年後にはグループ全体の役員になり、日本とアジア10か国を統括しました。

自ら創業した事業を売却して上場企業の役員へ

東日本大震災を機に事業の「社会性」に目覚める

――32歳で上場企業の役員になり、次期社長とまでいわれていたのに、縁もゆかりもない石巻に行かれたのは、どういう事情があったのですか。

早瀬 いちばんの理由は、2011年3月に起こった東日本大震災です。震災がなかったら、おそらくそのままモッズ・ヘアグループにいたと思います。

 しかし、震災によって自分の気持ちが大きく変わりました。震災前は「どうしたら儲かるか」しか考えていなかったような気がしますが、震災を経験して、「経済性、独自性、社会性」という順番から「社会性、独自性、経済性」という順番になりました。

 震災のときは、まず自社のメンバーの安否確認や、東北フランチャイズのさまざまな調整と対応に忙殺されていました。仕事を終えて、毎日、家に帰って新聞やテレビに目を通すたびに、どんどん被災状況がひどくなるなか、主体的には何もできませんでした。そんなとき、自分が経営者だったら、何かもっと違うことができるのではないかと思うようになり、過去の事例を調べてみました。

 すると、阪神淡路大震災のときは、楽天の創業者である三木谷さんがご友人を亡くされて、会社をつくるきっかけになったこと、もっとさかのぼった関東大震災のときは、渋沢栄一さんが、83歳であるにも関わらず、10日も経たずに資金を拠出して雇用を創出しようとしたことなどがわかりました。東日本大震災も1000年に1回といわれるような災害だったので、これは何か新しいことを始める時期なのではないかと考えるようになりました。社会がこういう状況のもとで、誰が事を興すのかということが問われるなか、自分の気持ちが東北に向いたのです。

――それまで築き上げた地位を捨て、石巻で起業することに対して、不安はありませんでしたか。

早瀬 2回目の起業なので、起業することに対する不安感はありませんでしたし、美容業界で長年やってきましたから、どこでやっても確実に初月度から黒字化しビジネスとして成り立つ、という自信がありました。私にとって「公益と収益の両立」が大事なキーワードで、収益がなければ継続的に発展できず、雇用もできません。そこがボランティアと違うところで、起業家としてやるべきことは何かを考えたときに「これだ」と思いました。

 最大被災地から1店舗目を展開し、本社登記することによってきちんと納税する。そして、最大被災地から全国展開で大きくなった会社であることが広まれば、きっと日本全体が元気になってくれるはずだ、と思いました。

――震災の直後から石巻に行ったとのことですが、あの時期はそれこそ町は悲惨な状況だったと察します。そのなかで、まず何から手を付けたのですか。

早瀬 2011年5月に、まずは東北地方の状況を把握しようと思って現地に行きました。ある程度、視察が終わってから、岐阜の実家に戻り、そこで準備をしてから、2011年7月に石巻へと行き、会社をつくりました。

 問題は出店する場所でした。当時の石巻は、道の両側に津波で押し流された車が放置され、建物はほとんどが柱のみになっていました。普通にテナントを募集しているビルなどありません。ですから、地元の不動産屋さんに飛び込んで、「とにかくこの近くで不動産を所

有している大家さんを教えてくれ」と聞いて、その大家さんたちを一件、一件訪ねて回りました。時期が時期ですから、どの大家さんのところに行っても、けんもほろろな対応でしたが、「困っている人は他に大勢いらっしゃいます。一緒にその人たちの雇用創出をやりませんか」と説得したところ、ある大家さんが、「そこまで言うなら直してやるから出店しなさい」と言ってくださり、それが第1号店になりました。

 

美容業界の働き方に大きな改革をもたらす

――美容室といえば人材の確保が不可欠な事業ですが、採用は順調に進みましたか。

早瀬 順調でした。東北に来て、新たに取引する業者さんと話しているときに、「できれば5、6人のスタッフは欲しい」と言うと、皆から言われたのは、「せいぜい1人くればいいほうですよ」ということでした。しかし、結局7人が応募してきました。そして、その全員を採用して2011年10月1日にスタートしたのです。

 その後も人材の確保には困っていません。モッズ・ヘア時代にマーケティング担当役員をやって、地方でどうやればうまくいくかという仮説を考えていたことが役に立ちました。いま美容師免許を持っている日本人は120万人いますが、実際に働いている人は50万人ほどで、残りの70万人は何をしているのかというと、子どもが生まれて仕事ができなくなったり、やむを得ず他の職業についていたりしています。美容師の仕事は、土日もなかなか休めませんし、練習はお客様が帰られた後なので、平日も20〜21時になります。それで、子供が生まれると大半の方がリタイヤしてしまうのですが、逆にいえば、子供を預けられる場所さえあれば働いてくれるのです。

 とくに石巻は、午後2時46分という、子供を迎えに行く時間に津波が襲ってきた地域だったため、被害に遭われた方も大勢いました。だから「子供を預けてまで仕事はしない」というお母さんが大勢いらっしゃいましたが、目の前で、無料で子供を預けて仕事ができる環境さえ整っていれば、働きたいという方も、大勢いたのです。

 うちの場合、平日15時で上がることもできますし、土日はお休みという契約もあります。子どもも無料で預かりますので、働きやすいということが就職された美容師さんのお友だちや知り合いにも広がり、基本的に、求人で困ったことはありません。

 いまは160人のスタッフが働いています。全21店舗あり、東北が半分、あとは栃木、神奈川、富山などに、フランチャイズも含めて展開しています。そのほとんどで、保育士が常駐するキッズルームを併設しているのですが、160人のスタッフのうち男性は3人です。女性も独身はゼロで、すべて子供か孫、あるいは要介護の肉親がいるという人ばかりが働いています。働く場所や時間、従事する仕事内容などの労働条件について何らかの制約を持つ人を「制約人材」といいますが、そういう人ばかりが働いているところが珍しいということで、いくつかの賞もいただきました。

――技術や接客のスキルはどのように教育していますか。それと定着率はどうでしょうか。

早瀬 美容師免許は20歳前後で取得する方が多いです。そこから10年かけて技術を身につけていくのですが、ようやく指名してくださるお客様がついたときに、結婚して退職するという方が非常に多いのです。ということは、いったん退職されている人が戻ってくるということは、もう一人前の美容師さんなので、私の会社でわざわざ教育をする必要は、実はほとんどありません。

 接客のスキルについても、美容師の世界では、自分にお客様がつくことによって、それが自分の売上、収入につながるという意識がもともとあるので、他の業種の方に比べると、自分で率先して考えて向上させていくという部分が非常に大きいと思います。

 定着率は100%といってもいいレベルで、辞める方はほとんどいません。子供や孫がいて働く方は、自分の家から15分、20分くらいのところで働く場を探しますから、待遇や雇用条件を比べて他に転職することがありません。一度、働き始めると、配偶者の転勤などがない限りは、働き続けてくださいます。また、30代で扶養の範囲で働きたいと言っていた方も、5〜6年して子供に手がかからなくなると、フルタイムで働きたいとなって、徐々にステップアップされます。売上の45%をお支払いする業務委託契約と、扶養範囲内で働きたいという契約のどちらかで採用していますが、たとえば、いちばん高齢の美容師さんはいま65歳で、毎月25万円の収入を得ていらっしゃいます。

美容業界の働き方に大きな改革をもたらす

「制約人材」の雇用数を増やし、社会的インパクトを与えたい

――「本業を通じて社会課題が解決できる事業」を創造するとして、①多様な働き方、②小さな拠点、③来店+訪問、④健康寿命、⑤社会的インパクトという5つのキーワードを掲げていますが、この意味について教えてください。

早瀬 私が多様な働き方を考えているというよりは、女性の数だけ多様な働き方に対する希望がありますから、それに合わせるだけです。こちらでいろいろ用意して、あとは皆さんが好きなものを選ぶようにすれば、いいのです。言い換えると、選べる働き方です。

 次に小さな拠点ですが、通常の美容院だと人口30万人以上の都市を中心に出店するのですが、私たちの出店戦略は、5万人から20万人の都市です。人口30万人以上だと競合も多いのですが、5万から20万人だと競合がいません。それでも、住民はいるのでニーズはあります。

 来店+訪問というのは、こういうことです。たとえば、65歳以上世帯のうち3割が独り暮らしですが、その高齢者の生活実態を考えると、地方に行くほど自動車がないと何もできません。これが地方にとって大きな課題になっているので、こちらが空いている時間帯とお客様がきてもらいたい時間帯をマッチングさせれば訪問することができます。顔を見て、お話もできる。それを月100件できれば、単価が1万円なので月100万円の売上がたちます。これを、徐々に進めています。

 健康寿命については、世間的には60代で働くことが特異なことのように思われていますが、それをなくしていきたいと考えています。先日も60歳の女性から「働けますか」という電話をいただきました。私たちのスタッフは、50代、60代が大勢いますし、お客様の層も50代から70代が中心です。100歳人生が当たり前になったら、60歳で仕事を辞めても、まだ40年も生きていかなければなりません。健康寿命と生涯寿命とのあいだには10

年ほどのギャップがあるのですが、そこで必要になるお金の手当てについては考えていない方が大勢いらっしゃいます。だからこそ、60歳、70歳でも働ける状況をつくり出したいのです。

 最後に社会的インパクトですが、これについては「制約人材」の雇用数をいかに増やすことができるかを重視しています。会社としての売上や利益も大事ですが、いま、何人の人たちと仕事ができているかという点を、いちばん大事にしたいと思います。

――今後の展開についてはどう考えていますか。

早瀬 いまは宮城県に10店舗あって、他がフランチャイズで11店舗という展開になっていますが、これからは47都道府県に平均10店舗ずつ、同じような形態で店舗展開したいと考えています。そして、それぞれの地域で地元の方に経営を任せたいと考えてフランチャイズ展開を推し進めている最中です。来店と訪問をしっかり確立させ、宮城県で10店舗100人以上の雇用をしっかり機能させれば、それなりの規模感も出てきますし、宮城県内では雇用数トップ5のグループに入ります。あとは、それを47都道府県にどう広めていくか。できれば自治体とも組んでいきたいと考えています。

 また日本で美容業界が生まれたかつての状況を、アジアでも再現していきたいと思っています。2018年3月にベトナムのハノイ市で開催した美容資格制度と美容室開業制度をテーマにしたフォーラムをJETROと共に主催して、現地の美容サロン経営者300人を招き、ベトナム政府関係者と美容に関する法案をつくっていくことでMOUを締結しました。将来的には、現地の美容室経営者とともにサプライセンター等を設立し、安心な薬剤や日本の技術を提供し、最低限のレベルで美容室の仕事ができる技術者の育成に貢献しながら、その方たちに日本式の在り方経営を取り入れた美容室経営をしてもらうことを目指しています。

――上場についてはどう考えていますか。

早瀬 先ほど申し上げたように、社会的インパクト、すなわち会社としての売上や利益よりも「制約人材」の雇用数をいかに増やすことができるかを重視しているのですが、それを貫けるのであれば、上場することもひとつの手段だと思います。しかし、上場することによって売上や利益を優先に求められ、社会的インパクトを実現していくうえでの足かせになるのだとしたら、上場しないほうがいいと考えています。基本的には、従業員の皆さんとか、フランチャイズの皆さんと株式を持ち合って、全員が幸せになるのがいちばんの理想ですね。

――公益資本主義の考えが浸透したとき、早瀬さんの仕事はいま以上に評価されると思います。今日はありがとうございました。

 

「制約人材」の雇用数を増やし、社会的インパクトを与えたい

◉株式会社ラポールヘア・グループ 会社概要

設立:2011年7月

資本金:1505万円

業務内容:美容室ラポールヘアの運営およびフランチャイズ事業

社員数:約200名

事業所:本社(宮城県石巻市)、仙台支社(宮城県仙台市)

◉わが社の経営理念

一、常に顧客に対するサービスの向上に努め、高い技術と心のこもったサービスを提供します。

一、それぞれの地域に根差した価値を提供し、社会に必要とされる存在になります。

一、すべての美容師が幸せになれる社会を目指します。

  
 

※     本記事は、2019年2月に株式会社フォーバルから刊行された『王道経営』第3号に掲載されたものであり、掲載当時の情報となります。

  

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